石垣島から所想所説、徒然なるままに

沖縄・石垣島の話題を中心に、石垣島から見えること、思うことを徒然に。好きな映画のレビューや、自分が難儀しているアトピーの話題なんかも。

ゴールデンカムイ(第三期)

 織りなされる死生観の葛藤。それが生きるということ。

  傑作だと思う。丹念な事実の掘り起こしとフィクションとしての自由奔放な発想、素晴らしい。時おり織り交ぜる日本アニメのステレオタイプを利用したけっこうブラックなギャグも最高だ。そして土方歳三という稀有なキャラを明治の時代に復活させたのは本作中のもっとも優れたアイデアのひとつといっていい。

 エクスキューズがいくつかある。まず、原作漫画を読んでいない。だからアニメのギャグシーンとかどの程度原作に忠実なのかわからない。それにアイヌ語、ロシア語、ウィルタやニヴヒの樺太少数民族の言語。それがアニメで再現されているが、浅学の自分にはどこまで忠実に再現しているのかわからなかった。おそらく衣装や住居は写真資料などからがんばって再現しているんじゃないかと思う。
 2018年に手塚治虫文化賞マンガ大賞、シリーズ累計1000万部を突破しているというから、原作を読んでいるひとからすると、レビューする資格はないかも。
 内容の詳細を記す気はないし、書こうと思っても書き切れない。ぼくはここで作品中の「死生観」についてだけ書いてみたい。
 本作には3種類の死生観が登場すると思う。それを観ている視聴者の価値観も含めれば4種類というべきか。まず、主人公アシリパの父たちに代表されるアイヌの人たちの死生観。厳しくも豊かな北海道の自然の中で、カムイとともに生きるアイヌ。獲物を狩って食べることは残酷なことではなく、アイヌ=人間もまた自然の一部として存在している。だから、同時にすべての生き物(獲物)に対する敬意が存在している。
 次に土方歳三が代表する幕末維新を生きたひとたちの死生観。明治維新を「革命」と位置づけるかどうかは意見が分かれると思う。国内の内発的な思想があったというよりは、黒船に対するリアクショナルなナショナリズムが爆発した結果ともいえるし、また、むりやり西洋の社会システムを導入するという文明開化がいろんなものを置き去りにしたまま進んだ、とても強引な施策だったことも間違いないと思う。儒教の影響がより強まった江戸時代のあとに明治維新が起こった。幕末の志士たちはそれまで事実上存在しなかった「侍」の姿を体現して戦った。そして、その侍の精神は維新後の日清日露戦争を通して、ゆがんだかたちで大日本帝国の軍部に受け継がれていく。
 そして、もう一人の主人公・杉元や中心的な役割を果たす登場人物のほとんど所属する明治の若者たち。欧米列強に追いつくことを目指し突き進む大日本帝国は北海道(や沖縄)を植民地化して拡大していく。この世代は維新後に生まれ、日清戦争を目の当たりにし、ロシアの南下と対峙し、日露戦争を戦った世代だ。特にスナイパー緒方や鯉登少尉が象徴するように、怖ろしくタフで優秀な人間が多かったのではないだろうか? 彼らはみな旅順を戦っている。軍神・乃木将軍の評価についてここでは触れない。だが、あまりにも死が溢れていたのは間違いないと思う。実は、近代兵器が大量に使用され、徴兵でかり出されたいわゆる「国民国家」の一般国民が大量動員された戦争は日露戦争が初めてだったという説もある。日露戦争は1904年、のちにヨーロッパを地獄にした第一次世界大戦は1914年だ。「Johnny Got His Gun」は第一次世界大戦の地獄を描いている。
 この作品では、ためらいもなく人が死んでいく。サイコパスのように人を殺す、ある意味、現代でもありえる動機で行われる人殺しも一部あるが、ほとんどは「殺さなければ、殺される」という単純な事実をもとに、迷いなく決断される殺人だ。作品中、杉元をはじめ主要登場人物たちの日露戦争を挟んだ過去が描かれる。そこでは封建的なムラ社会と、近代国家として歩む大日本帝国の狭間で懸命に生きる庶民たちの苦しみが描かれる。冷酷なスナイパー緒方ですら、あの時代の矛盾の中で生き延びてきたことが描かれていく。今風にいえば、PTSDを抱えたうえに、時代の矛盾に翻弄されてきたといえると思う。
 はっきりいえるのは、上記の3種の死生観は現代の日本人には理解しづらいモノだということだ。だけど、ぼくには、それこそがこの作品のすごいところだと思う。
 最後に、視聴者が感情移入できるギリギリの死生観を与えられているキャラについて。やはり「不殺の誓い」を立てるアシリパと、それに影響された杉元だろう。この主人公ふたりの存在のおかげで、視聴者はなんとかギリギリ、この作品に感情移入できる。鬼滅の刃の炭治郎が、現代に合わせた(いささか古くさい)ヒューマニズムをもとに行動するのとは対照的だ。
 ぼくは人間社会はまっすぐにとはいえないけど、少しずつ進歩していると信じたい。らせん階段を登るように、世の中は少しずつ良くなっていると思いたい。だから、この作品で描かれる死生観を賞揚する気はない。アイヌの死生観で獲物をとり続けたら、増えすぎた人間が狩りつくしてしまうだろうし、幕末維新の侍たちの姿はかっこいいけど、武士道に殉じて切腹なんて御免被りたい。そして、日露戦争を戦ったものたちの死生観。それは第二次世界大戦を戦った多くの日本人につながるものだと思う。
 自分の祖父二人はどちらも出征した経験を持つ。ふたりとも故人となってしまったが、生前の話を僕は覚えている。二人とも同じことをぼくに伝えてくれた。
 戦争だけは、絶対に二度とやっちゃいかん。
 それだけは覚えている。