石垣島から所想所説、徒然なるままに

沖縄・石垣島の話題を中心に、石垣島から見えること、思うことを徒然に。好きな映画のレビューや、自分が難儀しているアトピーの話題なんかも。

風の御主前(かぜのうしゅまい) 1974年 大城立裕

 大城立裕さんというのは偉大な作家だったんだなあ。歴史的事実を丹念に積み重ねながら、人物像や情景が目に浮かぶような見事な筆さばき。
 本作は沖縄・石垣島に初めて気象測候所をつくり、島の開発につくした岩崎卓爾の生涯を描いた伝記ものの小説だ。
 岩崎卓爾は名前は知っていたし、どこかでその事績も読んでいるはずなんだが、ぜんぜん印象に残っていなかった。明治時代の地方(田舎)にいけば、そこかしこに「初めての~」が作られていただろうし、それに貢献した優秀な官吏も多かったに違いない。というわけで、具体的なイメージをまったく伴わないで見聞きしていたので印象がなかったんだと思う。
 ところがこの作品を通して、岩崎卓爾をとても好きになってしまった。今でも石垣島では偉人として記憶されているのも納得できた。石垣島地方気象台構内には岩崎卓爾の胸像が建っている。
 彼が石垣島に着任したのは1898年、30歳の時。台風の研究への強いモチベーションを持っていたみたいだけど、さすがに着任当初は40年近く、死ぬまで石垣島に居続けることになるとは思っていなかったんじゃないだろうか?
 1913年に、主に子どもたちの教育環境を考えて、妻と子どもたちを仙台に送り返している。1914年の台風では飛んできた石によって、右目を失明している。それでも彼自身は帰らなかった。
 なんとなく、だけど、彼が東北仙台の維新後に没落した士族出身だ、ということは彼の人格形成、価値観の形成にとても大きな要因になっていたかもしれない。本庁から、出世させるから本土に戻ってこいと言われても石垣島にこだわり続けたのは、石垣島への愛はもちろんだけど、本土の官僚の世界に違和感を覚えていたのかもしれない。

 田舎にまれ人として現われる都会人や進歩的知識人というのはいろんな物語でテーマになっているけど、この作品もそういう文脈で読むこともできると思う。しかも事実を基にしている点が面白い。そして、岩崎卓爾からの視点で描かれる場面が多いのも特徴だろう。西洋がもたらした「近代」というものとどう向き合うかは明治の知識人にとってずっと難題だった。夏目漱石うつ病になるぐらい悩んだわけだ。
 そして八重山には本土(ヤマトぅ)からそれはもたらされた。現地のやいまぴとぅからすれば、上から目線で強権的で、地元の伝統をかき乱す迷惑な存在だったにちがいない。言葉だってなかなか通じない中で、彼が歩んだ40年というのは、本当に尊い。そしてまた彼が夢中になって昆虫採集に励んだり、たこあげ大会を主催してみたり、と子どものような好奇心でいろんなことに関わっていく姿が素晴らしく、エピローグで彼の死を描くシーンでは涙ぐんでしまった。
 僕自身、島ないちゃーとして20年を石垣島で過ごしてきたが、残念ながらぼくには島に貢献できるような、岩崎卓爾なみの特別な知識や力はない。なんとも情けない話だが、これからは少しでも彼を見習って些細なことでもいいから、地元に貢献したいと思う。
 話がそれてしまったが、本当にすばらしい作品でした。小説という形式だからこそ深く記憶に刻まれる、歴史上のあまり有名ではない、偉人のお話。「テンブンヤー(天文屋)のウシュマイ」、とても魅力的な人物でした。

 余談だけど、あとがきにNHKでのドラマの話が書かれていて気になって調べてみたら1974年に銀河テレビ小説として放送されていた。動画探したけど、見つからないなぁ。復帰後すぐの作品だが、石垣島でロケも行われたそうなので、当時の映像が見られるとなかなか貴重だが。残念。