石垣島から所想所説、徒然なるままに

沖縄・石垣島の話題を中心に、石垣島から見えること、思うことを徒然に。好きな映画のレビューや、自分が難儀しているアトピーの話題なんかも。

【博恩夜夜秀】總統來了!史上第一個得到蔡英文浪漫喊話畫面的媒體

 台湾の現総統・蔡英文が超人気のYouTuber、トークショー芸人(スタンドアップコメディアン)の曾博恩の番組に登場。2019年の4月だから、2020年1月の台湾総統選挙の前に若者向けにアピールするために出演したわけだ。
 曾博恩のこの番組はアメリカの「ザ・デイリー・ショー」を参考にして製作された政治や社会への強烈な風刺を効かせたお笑いトーク番組で、台湾の苗栗県の議員を徹底的に笑いのめした「苗栗國」などは流行語になるなど、すごい人気の番組だ。この蔡総統の回も572万回観られている。まぁ、笑えます。

 こういうニューメディアに総統自らが出演し、事前の打ち合わせや調整はあるんだろうけど、それなりにきわどい質問にも答えていく姿は、本当に素晴らしく、蔡英文のユーモアを交えた受け答えは選挙にもかなりプラスになったんじゃないだろうか?
 以下、面白いやりとりをいくつか抜粋。

博恩「台湾は、諸外国から国家として認められてないから、自分と総統は、ただの曾さん、蔡さんてだけですよね?」
蔡英文「台湾は民主国家だから、地位は一緒だよ、ただのただの曾さん、蔡さんですよ」

博恩「総統になって、ちょっとした買い物とかできなくなったことがたくさんあるとして、総統になったからやりやすくなったことはありますか?」
蔡英文「警察署にいってトイレを借りることです(笑)」

博恩「ゲームをしましょう。質問に対して5秒以内に3つの答えを出してください。一問目、女性にしかできない3つのことは何ですか?」
蔡英文「ひとつだけ、子どもを産むこと。現在、女性は何だってできます。総統にだってなれる、三軍の統率だってできる」
博恩「ゲームのルールをもう一度説明しましょうね(笑)」

博恩「口を使ってする行為を3つ挙げてください」
蔡英文「ご飯を食べる。話をする。国家を歌う」

蔡英文「次の選挙は、自由、民主、独立、主権を守るための戦いです」

 中華圏に中国と台湾という2つの国家が存在しているのは本当に象徴的なまでに対照的で面白いなと思う。中国共産党という現代の資本主義とグローバリズムが生んだモンスターの中で、21世紀の帝国主義国家の皇帝を目指す習近平と、この「小英」とも呼ばれる小さな身体の女性総統がみせる対照的な姿はあまりに鮮烈だ。
 個人的には蔡英文という人は、歴史に名を残す偉大な政治家だと思っている。もちろんその評価は時が経ってから歴史家が下すのだろうけど、少なくともその政治に対する姿勢、国民との向き合い方は本当に素晴らしいと思う。
 若い頃に呼んだ司馬遼太郎の作品の中にこんなことが書いてあった記憶がある。評価に値する立派な人物像を定義する言葉としてあげていた「理想ある現実主義者」だ。
 ぼくは蔡英文はまさにこの理想ある現実主義者だと思う。学者出身で、以前はより自らの信念や理想に引っ張られていた部分もあるのだろうけど、理想からどれだけ譲歩しつつ、現実を乗り越えていくかを考えているように見える。理想を失っているわけではないから、その進むべき道は明確だ。
同性婚を法制化(あくまでウワサだが、本人も同性愛ではないかという噂)、トランスジェンダーのオードリー・タンを抜擢してデジタル化を進める、原発ゼロを目指す、プラスチックストローを禁止したり、と保守派からは先鋭的すぎるように見えることも多々あるだろうけど、民主社会としての台湾、主権ある中華民国台湾を守るという理念は本物だ。台湾のために命を捧げようというその姿勢に疑いを挟む余地はないのじゃないだろうか。

 対岸からミサイルの照準を合わせている中国という脅威が、いつ攻め込まれるかもしれない、飲み込まれるかもしれないという危機感が、こういう政治家を育てたのかなと思う。今般のコロナ禍においてもその迅速な対応は世界中で賞賛されているわけで、衛福部部長・陳時中や若き天才オードリー・タンなど適材適所で危機に対応し、国民とのコミュニケーションに力を尽くす姿には感銘を受けずにいられない。日本の政治家とは比較にすらならないよ、、、。

 台湾の民主主義は、それが民衆の力で勝ち取ってきたモノであるという点や、健全な政権交代が複数回起こっている点(それは李登輝が最初にすべて設計していたのだ、という説もある)、ひまわり学生運動を通じた民衆の政治参加への意識の高まり、同性婚をめぐる国民投票など、いくつもの点ですでに日本より進歩しているんじゃないかと思う。巨大なモンスターと化してしまった中国共産党とどう向き合うかも含めて台湾から学べることがたくさんあるんじゃないだろうか?

 日本にもこの「博恩夜夜秀」のような番組があって、総理大臣が出演する日がくるといいなぁ。そんな日が来るためには何をすべきなんだろう?

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『幸せのレシピ』(No Reservations)2007年 アメリカ映画

 

  ふだん、こういういかにもなラブコメディはほとんど見ないんだけど、ちょっと疲れてたのでキリングタイムの気持ちで鑑賞。思ってたよりだいぶ良かった。
 最初はけっこう古いし、キャサリン・ゼダ・ジョーンズってラックスのCMか、と美男美女のラブコメなんかどうせ、と思ってたわけだけど短めの髪にまとめたキャサリン・ゼダ・ジョーンズはキュートだし、相手役のアーロン・エッカートもよく、ゾーイ役の子役・アビゲイル・ブレスリンもけっこううまい。
 自分に厳しく仕事に打ち込み、うまく人間関係を築けなくなっていた主人公ケイトが、姉の死と姪っ子ゾーイとの同居生活、新しい同僚ニックの明るく陽気な性格によって少しずつ心を開いていく。
 シングルで、まぁまぁいい年になって仕事に打ち込んでいて、いつの間にか仕事以外のよりどころをなくし、子どもとどう接していいかわからず、新しい出会いにも心を開けない。けっこう中年シングルあるあるかもしれない。傷ついたゾーイの気持ちにようやく気づいて、寄り添って一緒に遊ぶ姿が微笑ましい。なんだかんだ、けっこう癒やされる映画なのだな(笑)

 2001年公開のドイツ映画のリメイクらしく、そのせいもあってか現代アメリカを描くような社会性はほぼなく、マンハッタンの高級アパートで暖炉を炊きながら、って感じであくまでおとぎ話的ではあるんだけど、自分なりのレシピを信じて勇気を出して、心を開いて前に進んでいこうというポジティブなメッセージがシンプルなだけに素晴らしく、見終わった後にとても気持ちいい。
 たまにはこういうのもいいね。

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牡丹社事件 マブイの行方ー日本と台湾、それぞれの和解  2019/5/20 平野久美子

 

 ノンフィクションに、こういう形があるんだなぁ、と。
 ノンフィクションというとどうしても比較的最近の事件とか、まだ決着をみていないちょっと前の事件とかを題材にすることが多いと思う。どこどこで起こった殺人事件とかほとんど報道されなかった裁判の話とか、そのときは聞けなかった政治家の話とか。
 だけど本作は違う。事件そのものは1871年に起こっている。150年前の事件だ。事件そのものではなく、その事件の真実を求め、互いが許し合う台湾・日本双方の努力の過程がノンフィクションで描かれている。
 琉球宮古島島民、台湾の排湾族が事件の当事者であり(どちらも二重にマイノリティだ)、明治維新後の日本が対外拡張を始める契機にもなった事件だ。ある意味、琉球(と北海道)は最初の日本の「植民地」であり、台湾がその流れの中で続いて植民地となっていったわけだ。台湾で「八瑤灣事件」と呼ばれるこの排湾族による琉球からの遭難民への虐殺を口実に、日本は清との琉球の所属問題を一気に解決して琉球処分へと進む。そして台湾出兵への道筋をひいた。僕自身、歴史的にものすごく重要な事件のわりに知っていたことはあまりに少なかったし、この事件を今も自分たちの祖先のものとして向かい合っている人たちが日本台湾双方にいることもぜんぜん理解していなかった。
 ちなみに台湾では近年、もともと古くから台湾に居住していた「原住民」の権利回復が図られ、特に台湾の独立性を強調する民進党政権が誕生してから学校教科書でも原住民の歴史文化や、日本統治以前の台湾についての理解を深めようという動きがとても活発になっている。原住民のミュージシャンが活躍したり、書籍や映画、ドラマが続々と誕生している。霧社事件を題材にした映画「セデック・バレ』 (原題:賽德克·巴萊)は2011年の上映。ちょうど現在(2021年9月)も「斯卡羅」という日本統治前を舞台にしたドラマが台湾で絶賛放映中だ。
 台湾は日本にとってもっとも身近な外国のひとつだと思うけど、その台湾の現代につながる歴史を学ぶことはとても意義のあることだと思う。台湾の人々にとって日本統治前後の歴史を学ぶことはそのまま自らのアイデンティティを探ることなわけで、その歴史にもっとも深く関与した日本人も台湾に呼応する形で学んでいくのはともて大切だと思う。
 本作は牡丹社事件という複雑な歴史を扱いながら、平易な文章で、ノンフィクションならでは語りの進め方をもちいてすごく読みやすい。おすすめです。
台湾ドラマ「斯卡羅」https://www.youtube.com/watch?v=pFv2qsptfH0
原作者へのインタビューhttps://www.youtube.com/watch?v=zdZYhnBXinA
台湾原住民ミュージシャン「阿爆」https://www.youtube.com/watch?v=4cAp_IdqOuM

 

小説 琉球処分(上) (講談社文庫) 文庫 – 2010/8/12 大城 立裕 (著)

 

 時代を経てもなお、名著!
 自分が沖縄に(石垣島)に来た若い頃に読んだと思うのだけど、思い立って再読。もし読んでいたらこんな名著を忘れていたのが驚きだし、初見だとするとなぜに今まで読んでなかったのかなと思う。読んだことがあると思うんだけどなぁ。
 著者情報にあるように、最初に新聞連載されたのが、なんと1959年。著者若干34歳のときだ。この文庫版のあとがきにもあるよう松田道之の「琉球処分」を読んだ衝撃がそのまま作品に表れていたようだ。
 さらにこの文庫本の解説で佐藤優が紹介しているように、連載当時は沖縄の祖国復帰運動が盛んで、その空気に水を差すと思われたのか、連載打ち切りの憂き目にあっている。ところが、1972年の復帰間近にはにわかに注目集めるようになったという。少し長いが、あとがきから一部抜粋してみよう。
「(連載当時は)首里城明け渡し前夜までの連載で、そのあとの部分は、芥川賞をもらった余慶で(1967年)、講談社から単行本にしてもらうことになったとき、書き足した。
 単行本になり、のちにファラオ企画の単行本になり、ケイブンシャ文庫にもなったが、いずれも初刷りどまりであった。編集者にある程度の関心をもたれながらも、国民にそれほど関心が浸透しなかったということだろう」
 この後、祖国復帰が現実味を帯びる過程で「第二の琉球処分」という見方も生まれてきて、注目を集めるようになっていく。このあとがきは2010年7月に書かれているのだけど、大城 立裕先生という沖縄を代表する大作家がいかに透徹した視点をもっていたかを物語っていると思う。

 この作品だけで「琉球処分」という歴史的事件の全貌を理解したことにはならないとは思う。執筆当時の資料の限界もあっただろうし、どうしても当時の琉球王朝士分階級と大日本帝国の官僚・松田道之とのやりとりが中心になっていて、当時の琉球の庶民がどういう状況だったのか、どんなことを考えていたのかは理解しづらい。小説というかたちをとることで、その中に士分と百姓の間に位置するような登場人物を配することでなんとかそこも描こうとしているけど、十分とはいえないかもしれない。それでも傑作だと思う。オキナワを、あるいはヤマトをことさらに持ち上げることもなく、また断定的に批判するでもなく、それぞれの歴史的背景を持ちながら、大きな時代のうねりの中で起こった歴史的事件としてみごとに描いている。ナイチャーの自分からすると、ちょっとウチナーンチュに厳しすぎるんじゃないか、というぐらい当時の琉球王朝の支配階級を描いている。

 いくらでも書ける素材だけど、特に面白いと思った点をいくつか。
1.琉球王府の役人の「将来の見通しもないままの責任とらずに時間稼ぎと嘆願ばかり」に読んでいるだけでもかなりイライラさせられる。当事者の松田道之からしたら我慢の連続だっただろう。よく耐えて任務を完了したなと感心させられる。
 ところが、振り返ってみると江戸幕府だって、黒船の来航時は時間稼ぎと、アメリカ人からしたら意味不明の形式上の統治組織の論理でぐずぐずと結論を伸ばし続けていた。ペリーに対する当時の幕僚たちと、松田道之たちに対知る琉球王府の役人は、ある意味そっくりだ。
2.琉球国王尚泰の上京を防ぐためにあれやこれやの言い訳と時間稼ぎの連続。首里退去時には従臣たちが涙を流す。これもまた、大日本帝国が第二次大戦でポツダム宣言受諾時の「国体=天皇の維持」にこだわったのと相似形だ。
3.琉球王国には武力がなかった。対して、幕末のヤマトは、江戸幕府にせよ、地方政府である各藩であれ、政治指導者は「武士」だった。維新後、まっしぐらに開国・文明開化にむかった明治政府ではあるけど、幕末の尊皇攘夷運動が欧米の侵略に対する反発力として作用した側面は大きいと思う。薩摩はイギリスと戦争し、長州はイギリス,フランス,アメリカ,オランダの4国連合艦隊に向かっていった。今から考えると考えられない暴挙だけど、それが倒幕につながったわけだし、琉球王朝のなかにそういう軍事力はなかったし、地方にも過剰な?独立心と実力もなかった。そもそも薩摩の侵攻時にもっと激しく抵抗していれば歴史は変わっていたのかもしれない。
4.文明開化を経験したヤマトの役人たちが琉球士分に向けるまなざし、琉球士分が百姓たちに向けるまなざし、あるいは百姓あがりのヤマトの兵隊たちに向けるまなざし。そのすべてに偏見と差別が含まれていると思う。生活環境があまりにも違い、言葉も通じないようななかでは、それは「偏見」とはよべないかもしれない。漢文に通じるなど儒教的教養を身につけた琉球政府の役人たちがヤマトからきた農民上がりの兵隊や警察官をどう見ていたのか。ヤマトぅとウチナーンチュの間の文化的歴史的な溝は(この琉球処分ももちろん大きく影響しているわけだが)、いまだにあると思うし、首里のひとに対するほのかな、微妙な歴史的背景は今も先島のひとたちなどに少しはあるように感じる。
5.ヤマトの「中央」からみれば、沖縄はこの琉球処分の頃から一貫して「重要な軍事的意味」と「植民地」としての産業政策を押しつけられてきたのだと思う。尖閣問題、台湾海峡のリスクを理由として米軍基地はがんとして動かないし、製造業が発達せず、米軍基地や内地からの物資に依存した消費社会として形成され、さとうきびに代表されるいかにもなプランテーション作物。大戦、米軍統治、日本復帰、観光地としての沖縄ブームなどを経験してもなお、その立ち位置は変わっていないのかもしれない。

 最後に琉球処分については、その先の台湾との関係がとても深く、牡丹社事件琉球の帰属問題はもちろん、台湾出兵、先島分割案、日清戦争と台湾統治と続く流れがあり、台湾への沖縄人の移民もとても多かった。自分自身、19世紀後半から20世紀前半の東アジアについてまだまだ知らないことが多すぎるなと痛感している。アニメの「ゴールデンカムイ」は虚構ではあるけど、面白いよね。
 沖縄について知るなら必読の名著だと思います。

 

丸の内魔法少女ミラクリーナ 2020/2/29 村田 沙耶香

 

この本は「なもむ」!!
 読了したとき、多くの読者がつぶやいたんじゃないだろうか?
この本ほんと「なもむ」わ~、と。
 短編4作が収められているのだが、どの作品もかなり「なもむ」。
まず巻頭を飾る表題作「魔法少女ラクリーナ」のぶっとび具合がすごい。だけどこの著者がすごいのは、こんなぶっとんだ設定と展開なのに、日常的で平易な描写で物語がすすんでいくから、なんだか現実にあり得そうな気もしてくるから不思議だ。
クライマックスにかけては爆笑してしまいました。
ほかの三編「秘密の花園」「無性教室」「変容」については、昔ぼくが好きだった星新一とか筒井康隆のようなブラックユーモアなSF、思考実験的な作品のようにも感じた。「秘密の花園」「無性教室」は性的な描写のあたりが女性作家らしいというか、この著者らしい精緻な表現も多くて印象深い。
「変容」については筒井康隆が書きそうなブラックユーモアだなぁ。
 著者の作品は「コンビニ人間」を読むまで未見だったのだけど、とにかく圧倒的な文章力に脱帽。一人称で語られるのに、ものすごく奇妙だったり、偏ったキャラが語るわけで、そこに感情移入していくことで、普通あり得ないような逸脱感を味わうことができる。ほんと「なもみ」ます。
 世間でどういう風に読まれているのかわからないのだけど、基本的にはどれも独特のユーモアが特徴だと思う。これから著者のほかの作品もどんどん読んでいきたいと思います。面白い!

 

ランボー ラストブラッド

 

 嫌いじゃないです。ストーリーは陳腐だし、ドラマ部分もいまいち情感に乏しい。最初に乗り込んで、あっさり捕まってフルボッコされるあたりも、ランボーらしさ、からほど遠い。復讐に燃えてからのランボーの敵の倒し方も必要以上に残酷で、非効率的。たぶん、グリーンベレーらしく、淡々と次から次へと冷静に相手を倒していって、戦いが終わってからランボーが虚しくなり、ひとり佇む、といった演出が良かったんじゃないかと思う。
 それでも、嫌いじゃないです。やはり自分の馬小屋と洞窟に引き込んでからどんどん倒していくシーンはテンポが良くて、ラストまで無駄に引っ張ることもないところが◎。

 とはいえシリーズのラストを飾るのなら、もっとドラマ重視の作りでも良かったんじゃないだろうか? 戦争によるPTSDだったり、使い捨てにされる兵士たちの思いであったり、戦場に適応しすぎて、普通の平和な日常を送れない、といったリアルな帰還兵たちの物語を詰め込んでも良かったのでは? イーストウッドにでも監督してもらったら良かったのにね。

 それでも、70歳を超えてなおアクションをこなすスタローンには脱帽です。スタローンはエクスペンダブルズでドロップアウトした俳優を復活させたり、ほんとにすごい人ですよ。スタローンへの敬意を込めて星3つかな。

 

ラッシュ/プライドと友情 Rush 2013 アメリカ

 ジェームズ・ハントがね、型破りすぎて、面白すぎる。町山智浩さんがハントのやりまくり生活を解説していたが、気に入った女性はみんな口説く、といったタイプだったらしい。酒飲んでF1レースに出るなんて、今じゃ考えられない自殺行為だと思うが、実話というのが怖ろしい、というか面白すぎるというか。
 対するニキ・ラウダが理論派で、勤勉で、真面目。こっちもある意味レーサーらしくない人物で、この二人がライバルだったというのはほんとに事実は小説よりも奇なりだなと。
 タイトル争いが最終戦の日本、富士スピードウェイでの決勝となるというドラマティックな展開。コースに川ができるほどの豪雨の中で行われ、ラウダは自分の判断でリタイアする。直前に事故で死にかけたんだからムリもないよな。
 お互いまったく性格が合わない二人なのに、ラウダがクラッシュして大けがを負って入院しているとき、ラウダはテレビ越しにハントの活躍をみて奮起するのだから、人間の心理というのは不思議だ。

 それにしてもこういった素晴らしいライバル関係というのはスポーツの世界でこそ、よく見られると思うけど、普通の会社員生活とかしているとなかなか出会えないんじゃないかな。真逆の個性で、お互い敬意を持ちつつ正々堂々と渡り合う。ライバル関係がお互いの潜在的な能力をどんどん引き出すのは間違いないと思う。
 映画としては、事実をもとにしつつも派手すぎない演出もよく、結果がわかっていてもドキドキできる、素敵な映画でした。