石垣島から所想所説、徒然なるままに

沖縄・石垣島の話題を中心に、石垣島から見えること、思うことを徒然に。好きな映画のレビューや、自分が難儀しているアトピーの話題なんかも。

The Impossible Spy 1987 television film UK

 ネタバレなしで。
 視聴後に英語版のWikiがあったので調べてみたけど、イギリスのテレビ映画らしい。画質がかなり悪いんだが、テレビ映画ということで納得。ちなみに自分はこの荒い画質がなんとなく当時のイスラエル、シリアの雰囲気にマッチしている気がしていやじゃなかったかも。また演出が1987年だからか、あるいは当時のイギリスのテレビ映画であるからか、無駄な残酷描写もなく、むやみに説明的なセリフもなく、きちんと画面で主人公が何をしているのか、何を思っているのか、淡々と伝えてくれて心地よかった。過剰な説明的なセリフや無駄なCGアクションは苦手なんだよなぁ。
 詳細は英語版のWikihttps://en.wikipedia.org/wiki/The_Impossible_Spy)を見てもらえればわかるが、ストーリーは史実を基にしているらしく、爽快感やハッピーエンドとはほど遠い展開だ。主人公であるエリ・コーエンは現在に至るまでイスラエルの国民的英雄となっていて、彼の死後、イスラエルがSix-day Warでシリアから奪取したゴラン高原のエリアに、彼の功績にちなんでEliadという入植地が作られている。

 ユダヤ人という民族、イスラエルという国については、日本人であるぼくにとってはちょっと理解が難しいなと感じる。起源を同じにするユダヤ、キリスト、イスラム一神教が三つ巴で争っている現状をどう考えるべきか。ユダヤという人たちがナチスドイツのホロコーストも含め、ヨーロッパでどのような扱いを受けてきたのかを詳細に理解するのは本当に難しい。シェイクスピアヴェニスの商人から、トランプ支持者たちのユダヤ陰謀論まで、様々な偏見と差別の歴史が重層的に続いてきたように見える。
 またイスラエルは中東の中では周り全てを敵に囲まれている弱者ではあるが、アメリカやヨーロッパのユダヤ資本の援助もあり、軍事面・科学技術では圧倒的な存在だ。イスラエル建国以前、アラブ、イスラム世界の中でユダヤ人がどう見られていたのか、それもよくわからない。歴史的にはイスラム世界には「ジンミー」という身分制度があり、ユダヤ教徒キリスト教徒をいわば2等国民のような扱いでイスラム社会に組み込んでいたらしいのだが、実際の差別の実態がどの程度だったのか?
イスラム、というものについて考えてみると、日本人にとって9.11以前、イスラムは好奇心の対象にはなりこそすれ、それほど実体験として理解できる対象ではなかったと思う。それがテロリズムと結びつき、アルカイーダ、IS(イスラミック ステート,DAISH)とつながっていったことで、かなり否定的なニュアンスを帯びるようになった。
 冷戦時代、中東でアメリカやソヴィエトがやらかしていたとんでもないことも知らなかったし、それが21世紀になってこんな風に爆発するなんて全然理解していなかったと思う。ぼくが個人的にアラブに住んだことのある日本人から聞いた話だと、湾岸戦争まで日本はものすごく中東諸国から好かれていたのに、湾岸戦争ではっきりとアメリカに加担したことで、一気に西側諸国として嫌われるようになったということだった。これを聞いたのも、すでに2010年前後だったと思う。またイスラム横町じゃないが、国内の移民も増えてきてようやく理解できるようになってきたかもしれない。
 イスラムについて議論しようと思えばいくらでもできるわけだけど、日本から見たときに要求できる、すべきなのは1点だと思う。日本国憲法イスラムの教義より上に置けるのか否か? 日本国憲法を上に置けないひとを移民として受け入れるのは、正直難しいと思う。いくら多様性を強調するにしても、イスラムの中にある現在の民主主義と相容れない主義主張は受け入れることはできないと思う。それが左翼的正義の限界だ。
 いずれにせよ、右翼とか左翼とか原理的な話は置いといて、日本が国家として何を受け入れられるのか、何はできないのかはっきりと示すべき時期に来ていると思う。行政組織として「移民局」のようなものは作るべきだと思うな。いつまでも入管で人権無視を続けるのは本当に恥ずかしいと思います。