特捜部Q カルテ番号64 2018 デンマーク
デンマークの刑事モノ・サスペンスということで物珍しさから視聴。北欧の映画はなかなか見る機会がなくて、スウェーデンのベルイマンとか、フィンランドのアキ・カウリスマキなんかは若い時に好きで、ちょこちょこ見ていたけど、デンマークとなるとラース・フォン・トリアーの実験的な作品しか見ていなくて、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」観ながら、暗いな、と思った記憶がある。
さて、この特捜部Q、アマゾンプライムに第二作から本作まで3本が上がっていたので、暇を見つけて観てきたのだけど、3本の中ではこの「カルテ番号64」が一番の出来だと思う。
食卓を囲む3体のミイラ、というショッキングなイントロから始まる本作だが、とても社会的な作品で、高福祉高負担国家として知られ、国民の1人当たりGDPも高く、幸福度報告で1位となるなど、いわゆる北欧モデルとして世界中に知られるデンマーク、なわけだが、この作品ではその暗部が描かれる。
主犯格が語る「寒い冬」理論は、社会進化論のいびつな応用で、ナチスの優生学と同じ根を持つものだ。日本での優生保護法、ハンセン病患者に対する不妊手術は近年に至るまで続けられ、法的には1996年になってようやく「優生条項」が削除された歴史がある。
また、いわゆる左派と呼ばれる人たちが主張する『自分たちの』社会の自由や公平や平等、高度な福祉の実現は、必ず「どこまでが自分たちか」という線引きをはらんでいて、結果、外部のものを排除することになる。
デンマークではその高福祉を実現した民主主義社会を守るために、厳格な移民制限が敷かれてきた。特にアラブの春以降の中東情勢の悪化による移民の流入にはかなり神経質になっていて、無人島に移民収容施設を建設するなど、世界から非難されているほどだ。
本作に登場するアサドはシリア系移民という設定だが、ちなみに演じているのはレバノン系スウェーデン人のファレス・ファレスという役者さん。レバノンにはキリスト教徒も多いのだが、彼はどちらだろう?
デンマークの移民政策や世論から考えると、本作でのアサドたち移民の描き方はそうとうに論争になったんじゃないだろうか?
そしてまた、40年ほど前に実際にあったという「不良少女たち」の収容施設。同じような形でカトリックの国アイルランドで行われていた修道女施設という名をかりた監獄のような生活を描いた『マグダレンの祈り』、『あなたを抱きしめる日まで』(Philomena)という名作映画があって、プロテスタントの国デンマークでも同じようなことが、また少しだけ違ったロジックに基づいて行われていたんだなぁと。
40年前の堕胎手術・強制不妊手術の被害者と、現代の被害者が結び付き、そこに連綿と続く犯罪を暴いていくという、すばらしい脚本になっている。
復習者となった40年前の被害者が主人公カールと話し合う場面が感動的だ。無神論者で、PTSDを患い、普通の人間関係の構築すらできないカールが、彼女の思いを理解し、逮捕しようともせず、ヒヨスで酔っ払いながら(ぼくはこのヒヨスを知らなくてググっちゃいました。試したみたい(笑))もアサドを助けるためにまたまた暴走する。カールのキャラ、やっぱ面白いんだよなぁ。ハリウッド映画じゃあまり、ヒーローにはなりにくいキャラだと思う。シャーロック・ホームズとも違うし。
刑事ものとしては、警察組織の描き方とか捜査方法とか「ご都合主義」と批判されるのはわかる部分もあるけど、単純にそういう見方をする作品じゃないと思えば許せるんじゃないかな。日本でみられる貴重なデンマークのエンターテインメント作品と思えば星4つはつけられるかな。
面白かったです。
追記)ついでにシリーズ2作目「キジ殺し」について
すごく陰鬱な作品で、犯罪者となる悪役側の人間たちがまったく自分と同世代という点でも、なんか複雑な気分でした。ある種のサイコキラーもの、ともいえるし、90年代のタランティーノとかナチュラルボーンキラーズ的な暴力や殺人を楽しんでしまう感覚が犯人たちにあり、後味は悪い。
ティーンエイジャー、学生時代のシーンは陽光降り注ぐデンマークの夏を主体に描かれ、どん底まで落ちたキミーを追う現代は寒く暗い冬のシーンとして描かれる。北欧の映画を見るときにいつも思うのは、夏はとっても貴重で、暗く長い冬が当たり前の生活という点。うつ病の人が多いというのは俗説だろうか?
追記2)シリーズ3作目「Pからのメッセージ」
この作品もけっこう面白かった。純粋に悪役が強いと面白いではある。警察側が間抜けすぎるという批判はもちろんわかるし、犯人が「ハンニバル」レスター教授みたいなスーパーな強さなのもリアルな刑事ものを求める人はつらいかも。捜査の過程もかなり雑だからなぁ。
とはいえ、この悪役が代表しているのは「悪魔・デビル・イービル」であり、それがキリスト教の世界では「自由」と近しいものとして存在しているという点を考えるとかなり面白い。簡単に言ってしまえば、彼は「ダークナイト」のジョーカーなのだ。町山智弘さんが解説している「ダークナイト」で悪と自由について詳しく語っているのだけれど、キリスト教・悪・自由といえば北欧にはベルイマンという映画監督がいる。若い頃にたいしてわかりもせずに見ていたのだけれど、見返してみたいなぁ。
徹底した無神論者であるカールは、それゆえにアサドに対する差別も嫌悪感もないが、依って立つべき精神的な支柱もない。ラストシーンで問われているのはいったいなんだったろう? なぜカールは子供たちを救うために危険を冒せるのだろう?
これもかなりいい作品だったと思います。