国際市場で逢いましょう 2014年 韓國
自分がいかに戦後(それも朝鮮戦争後だ)を知らないかと思い知らされる作品。隣国でありながら本当に何も知らない。民主化以降の韓国だけを見ていると、戦後の日本、今自分たちが暮らしている日本とたいして変わらない民主主義社会で、資本主義社会で、と思ってしまう。
中国に留学した時に韓国人の友人もできたけど、基本的な部分では一緒だろうという感覚でつきあってはいた。だけど、韓国の近現代史を学べば学ぶほど、日本とは違う歩みを続けてきたのだということがわかってくる。
以下、ネタバレあり。
本作は1950年に朝鮮戦争の戦火を逃れて主人公ドクス一家が船に乗り込もうとするところから始まる。避難船に乗り込もうという際に、ドクスは幼い妹の手を放してしまう。妹を探しに戻ろうとする父は別れ際に「俺が戻ってくるまで、お前が一家の主だぞ」と言い残す。父と妹と離れ離れになりつつ、釜山の「国際市場」で露店を営むおばを頼って戦後の歩みを始めることになる。母と兄弟との貧しい生活の中で必死に家計を支え、自らの夢を封印して家族のために必死に働きつづけることなる。大学に進学する弟のためにドイツの炭鉱に出稼ぎに行き、そこで生涯の伴侶を得るも、炭鉱事故で危うく命を落としそうになる。帰国後、おばの国際市場の店舗を買い取り、なおも妹の結婚資金のためにベトナム戦争に民間の協力者として従軍し、結果、左足に銃弾をうけてしまう。帰国後、彼はテレビの「離散家族を探す」という企画を通して、あのとき離れ離れになった妹と再会することになる。
人生のすべてを家族を支えるために懸命に生きたドクス。1950年、離れ離れになる直前に父親はドクスに「もし戻ってくれなかったら、釜山の国際市場のお店で落ち合おう」と話していたのだった。そのためにドクスはお店を守り続けてきたのだった。
自分にも戦中派の祖父がいた。戦中に中国にも行き、戦前と戦後すぐまで船乗りでもあり、家族のために炭鉱に入り、炭鉱がすたれると家族を養うために大阪の紡績業に移った。どこまでもがむしゃらに働いて働いて生き抜いた祖父。もうなくなってしまったけれど、思い出されて涙を禁じ得なかった。あの時代、家族のために懸命に働く、それ以外のことを考えるような余裕もなかったのだろうと思う。
韓国人がドイツなどに大量に出稼ぎにいっていたことも詳しくは知らなかったし、ベトナム戦争時にどのような関与の仕方をしたのかも詳しく知らなかった。
また、大戦後、祖国が二分され、離れ離れになってしまった事実は意外と多い。有名なのはドイツの東西分裂だろうし、日本の満州での孤児も昭和の時代にはよく報道されていた記憶がある。最近ではインドとパキスタンの分裂を描いた映画も観た「英国総督 最後の家」。韓国でテレビ番組を通して家族の再会が進められた事実も知らなかった。
今、日本と韓国では慰安婦問題、徴用工問題を中心に植民地時代そのものの問題も含めてどうしようもない泥沼の関係になってしまっているけれど、お互いを知ろうと努力することは最低限必要だろうと思う。こんな政治的外交的な状況ではあるけれど、韓国の映画やドラマが日本で放送されること、韓国文学も一種のブームであることは歓迎すべきことだと思う。今後、日韓関係がどんな方向に進むにせよ、基礎になるのは相互理解じゃないだろうか。
一見をお勧めします。